振り込め詐欺師は、これをマニュアルにしているかも!, マーくんさん、こんばんは。ライネッケ、読まれましたか……ひどい話でしょ。振込め詐欺の教科書……うーん、現今の振込め詐欺はさらに進化している感あり……ライネッケも真っ青の……かどうかはわかりませんが、「悪が勝つ」というのは、一面の真理なのかもしれませんね。「立派にこどもの本」……そうなんですね。こどもにはとてもわかりやすい。でも、こどもだった私は、かなり悩みました……というか、「義憤」にかられたといった方がいいかもしれません。むろんこどもなので「義憤」という言葉は知らないわけですが、「これでいいのか!」と納得のいかない気持ちをどこへもってっていいのやら…… この2つの作品が、『宮崎アニメ』のイメージだと考えても 「三島由紀夫さんの場合はちょっと特殊ですね。元々は戦前に特攻隊?の一員、つまり戦争によって死のうとした人間ですからね。」 低学年向けの童話に『さし絵』が付いているのはそのためです。 しかし、手塚治虫と宮崎駿という、全く対照的な2人の性格を このスレッドのテーマではないのでここまでにします。 ずぶん、待っでっから、おめえが帰ってくるの待っでっから♪ 児童マンガ家(この言い方はやっぱり慣れないけど)は視覚的に訴えるモノが大だから、同じロボットものでもアトムは少年型で、ドラえもんはネコ型だし、ロボットが飽きられそうになるとサイボーグだ、アンドロイドだ、とバリエーションを利かせなくてはならない。ひと目見て「おおっ…!!」と目を惹きつけなくてはならない。凡庸な絵では当然見向きもされない。裏を返せば、そして端的に言えばひとコマの表現力で沢山のファンを獲得できる。それができたのが手塚治虫さん。 たぶん宮崎さんて、自分のために作品をつくっているわけではなくて。 アニメーションなのに『動かすな!』というところに神の技がある。 そして父親の顔は天馬博士かゴアかランプに酷似だろう 去年他界した際は。1,926年生まれが戸籍上の届けと判明 十数年で、人類や科学技術に対する信頼感が、急速に失われていったということなのでしょうか……うなぎいぬさんの書きこみを面白く読ませていただいたんですが、そこで紹介されている宮崎さんの次の言葉には、やはりモダニズムにかんする根底的な不信感を感じます。 ただ、ビデオになってからの『トトロ』は強かった♪ さて、少しさかのぼります… 今では対処法が身についたけど、5〜6年前当時は 【暴言 第2位】 ★★ くまのまーくん(正)氏 昔のプロフィールは、ハナ肇と同い年1,930年3月生まれですが なぜなら「総長賭博」なんて駄作を絶賛するから 共通する部分もあると思いますが、まず『別物』と考えるべきです。 三船さんの件は・・・まあ酒に酔ったら「平等」ですから・・・w _あなたたちが洋画を愉しめるのは私のおかげなのよ! 要するに、「確定できない」ということがいちばん困るんじゃないかと。マーくんさんのご紹介の「暴言」は、手塚さんにしても宮崎さんにしても「らし・すぎる」。この「すぎる」ってところがクセもので、そこで、やっぱりホントかなあ……と疑ってしまう……と、やっぱりソレについてどーこーいうのもどーなのかなー……と。発信元がきちんとわかれば、ソコに問い合わすという手もあるんですが、それがいつのまにか「ネットの網」の闇の中に消えてしまっては、どうしようもありません……まあ、ネットというのが基本的にそういうものであるというのはわかるんですが、やっぱり「それでいいのか?」と思ってしまいます。まあ、バカボンパパのネガティヴってことになるんですかね……手塚さんの「動かすな」って、らしすぎませんか?「同じ絵を使え」もそうだけど、いかにも『鉄腕アトム』のTVアニメを見て、発想したみたいな言葉……なんだけど、それも確かめられない。屋上屋を……で、土台が液状化していて、やっぱり気持ちよくないと思いますが…… だから、オッサンの言うことは間違ってはいない。 これは、バイク事故で入院した原画マンに対して言ったとされるもの。 とにかく、老害だけは勘弁してほしいと切に願う♪ 『思い込ませ商法』がキーワードの一つとして認知されましたか。 人手不足の問題を解消し、なおかつ社内の人的リソースをもっと付加価値の高い仕事に充てられる。 情報システム部が主導してきたこのプランに ここでは、『暴言には自信あるぞ!』というお二方にご登場いただき、 ここで「悪」と言ってるのは、腐海や虫たちの働きのことです。ナウシカの生きる世界では、腐海や虫たちは、人間の生存を脅かすだけの「純粋悪」と受け取られていて、誰にとっても、その存在を純粋に否定してよいもの……要するに、理屈なく退治していいもの……しかし、実にナウシカだけが違う。師匠のユパさまも近い線まで行くけれど、ナウシカみたいに透徹して「知る」ことがない。腐海の生まれたわけと役割。それは、人間の作りだしてしまった「毒」の浄化……ここで、「悪」の意味が完全にひっくりかえります。それは、相対的な「悪」ではなく、「悪」をもっと、さらにその根底まで見透すことによって、人において「絶対悪」であったものが、その「悪」の意味を失う……それは、転回してブーメランのように「人」自身に還ってくる……たとえば、ドストエフスキーの作品みたいに、「悪」の意味を深く問おうとしたものはありました。しかし『ナウシカ』がある意味、それを越えたということは、やはり「19世紀」を越えたということではないか…… もし本当ならカッコイイなぁー(本当であって欲しい) これに対し、宮崎さんの場合には、長編アニメが「勝負の土俵」なので、タイムスパンが長い。いろんな資料を読みこんで、人に会って話を聞いて、構想を練って……そういう「制作プロセスの違い」からくるものも大きいのかもしれませんが……というところで、このスレの本来のテーマ、「なぜ宮崎アニメがこどもに受けるのか?」(ということでしたよね、たしか)に戻りますと……私は、自分のこどもの頃のことを考えてみても、こどもは、大人とはちょっと違う、ふしぎな世界に生きていたと思います。「将来」というか、「未来」はたっぷりあるのだけれど、でもそれは、全然具体的になっていないので、ないのと一緒。こどものうちから「将来」ががーんと具体的にある人はオソロシイと思いますが、私には、そんなこと考えられない。で、未来は空白なので、結局、具体的に存在するのは、今、そしてここ、なんだと思います。ということは、快も不快も、損得勘定も、みんなスパンが極端に短くて、直接的。遠回しにいろいろ考える余裕はない。 いずれにせよ、同じ出身校(旧制中学)の石橋エータロー(1,927年9月)と犬塚弘(1,929年3月)より最年長なのに、プロフィール上は」最年少だった! 悪いごとしたなと、ずぶん反省してるでガス。 この『皆等しく』の中に、『バカなコオロギ』は入らないのだろうか? オッサンの発言から『人徳』を読み取るのはむずかしい。 (中略) マンガや絵本は、いつの間にか『子どもの宝物』になりました。 この動きも、とても具体的な動きです。 虫プロダクション設立&アニメーション製作者に進出してからは業界でかなり評判が悪いのですね。 「コンピューター対人間」的な議論は最近また盛り上がりを見せていて、「多くの人間の仕事が機械にとって変わられる」ということに異論を唱える人はもう少ないのではないかと思います。ただ、どの程度?というのは議論が分かれるところですよね。 人工知能を研究する学者さんなど … 次の『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の2本立てがコケたのは、 つまり、それが『宮崎駿 暴言』の正体では? と対談を読んで感じた。 『幼年マンガ』『児童マンガ』『少年(少女)マンガ』などを >ぽあ:ここは『子ども電話相談室』ちゃうで! 知らんがな。 だいぶ説明不足でしたね・・・すみません。 だからおとなでも、仕事や人間関係のストレスがない人は、こどもとあんまり変わりないんじゃないかと思います。こういう人は、規定の線路に乗っかって無為に運ばれるなんて耐えられなくて、たえずジタバタして脱線をくりかえす。宮崎さんなんか、人間関係とか仕事の重圧とか、ふつうの大人よりはるかに大きいはずなのに、メインの仕事であれだけ脱線しまくりというのは、「子供力」が並外れて大きいのかなと思います。手塚さんもけっこうそうだと思いますが、メインの仕事でなかなか軌道を外れないのは、やっぱり世界観の違いと「サービス精神」のせいなんでしょうかね。宮崎さんは、悩んだあげくに「ばちっ!」と切っちゃうようなところがあって、「知るか!オレはこういうふうに作りたいんだ!」と、作品のあちこちで叫んでいるような気がします。それがだんだんひどくなって……でも、オモシロイ。 まあ、要するに、今の世界は、まだ「19世紀」の殻を抜け出せないでいる。だから、振込め詐欺の連中も「ライネッケ」の影響を受ける……??「19世紀の解決」は、これからの人類文明にとって、積み残された大きな課題だと思います。……ということで、なんかムダに壮大な?お話になってしまいましたが……すみません。古代妄想+誇大妄想なもので……あと、「ライネッケ」の表記は、つづり(Reineke)からするとたぶん書いておられる「ライネケ」の方が近いのかな??……私は、昔からの習慣で「ライネッケ」と書いちゃうんですが……ウィキで調べると、この物語は、12世紀後半まで遡るみたいですね。振込め詐欺のルーツは12世紀ヨーロッパだったのか……なんとなく、ヘンな「感慨」を覚えてしまいました……。, みなさん、こんにちは。 と感じて訣別できたというのです。 それから、二つ目。 「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」では、うぬぼれて暴走したあげく動けなくなった機関車を牽引して車庫に戻すのは最新式の汽車です。 はっきり言えば、時代遅れのアナログなんです。 でも、「民の声」が「天の声」にはならない、というのは厳然たる現実で・・・要するにこれは、「民」に力がないからですよね。なぜ自分たちに力がないのか、ということはもっと反省すべきことだと思うのですが。 でも。宮崎さんが人並みでない「使命感」を持った作家であるということは、わかります。 (なんの話や?!、だからモロゾフのプリンですよ??) アニメーターとして、漫画家として、そして一人の監督としての初めての代表作になりました。 創り手には必要になるのですが、混同する大人が多いのも事実です。 今の日本では、もう成立しないと思うけど… IKAさん、ソースの確定問題は、なかなかややこしいですよね・・・もし、このスレッドが「2ちゃんねる化」することを避ける、とハッキリしておくことにするなら、不確定なソースは持ってこないということを「ルール」として決めるのが一番有効ですが、そもそものスレ主さんの問題提起が、はじめから不確定ソースによる「暴言」の数々をもとにしていることを考えますと・・・ああ、ますますややこしい・・・ >やはり、私が一番知りたいのは、 これは『縛り』です。 じっくり読んでいただければ、わかるはずなんだけど♪ 『ユーモアを忘れずに♪』ということだ。 それは、考え抜いた結果なのでしょうけど。 学生や大人ではなく、小学生にメッセージを残したかったのでしょう。 【寸評】 この機会を逃してなるものかと♪ だから、この人の作品は『少し突き放して』観るのが丁度いい。 家に帰って買い物袋を開けると、サラダドレッシングが入っている。 因みにウォリスは、バートとカークを売り出した製作者 子ども向けは『わかりやすく』という手塚先生の考えと この対談集を読むと、宮崎駿が何を考えているかよくわかります。 そこら辺を、お勉強させていただきたい。 『35歳を過ぎて〜』発言のどこが『暴言』かというと、 子どもの頃から動物好きの私は「ジャングル大帝」が大好きでした。跳躍の仕方とか、ディズニーの動物の動きとにてますね。 おんどりゃーさん、初めまして。マーくんです♪ これ読んでる人、みんな IKAさんの文章 理解してるの? その日のうちに準竜師が戻って来る事はないため、その日の陳情はあきらめる必要がある(陳情した後にもう1回陳情しようとするといなくなっている場合もある)。どんなに無茶そうな陳情でも発言力さえ足りていれば準竜師の反応に関係なく通るが補給物資等の陳情の場合その補給物 … また、『天人五衰』も含めて、<三島専用スレ>にて語り合いましょう。 こういう解釈でよろしいでしょうか? 2021年1月04日 23:08:26: vth59ay6xq: wwk1vda0bxvwvgm=[977 児童マンガ家は、サービス精神が旺盛である。 >>宮崎さんの言う「謙虚」というのは、「自然に対して謙虚」ということですよね。 ◯◯にやさしい政治、とかいう言い方も嫌いです。 これらは『子ども向け』ではありません。 哲学なんかは、とても「わかりにくい」ものと思われていますが、あれは理屈っぽいからわかりにくいのではなくて、わかりにくいことがらを語っているから、わかりにくいのです。 ぴあ:一寸の虫にも五分の魂 言うやんか。 児童マンガ家→子どもに分かりやすいお話や絵面で構成出来る人 宮崎さんの数々の『暴言』と言われるものには、 そして真打、くまのハンフリー(※)じゃない、くまのマーくん君 日本の児童書編集者も、こういう本を書くべきです! ↓ 日本では『絶滅危惧種』と言ってもいい。 他にも、人間ならば人がいなくてもいろいろなところを見たり、瞬きをしたり、呼吸を整えたりといった仕草をするし、それらの仕草には理由がある。最近はロボットに、擬似的にそのような仕草をさせたりしているが、それはロボットにとってはほとんどが意味のない動作なので、逆に人工的 やはり、私が一番知りたいのは、 人間とaiの役割分担と、そのための働き方環境の整備が、これからは重要になりそうです。私たちに求められる職業能力も変わってくるでしょう。上田はaiを活用する時代の社員像について、次のように考えています。 実質「風の谷のナウシカ」まではほぼ無名といってもおかしくない人でした(終盤のルパンシリーズやカリオストロの城も当時はあまり評価されていなかったですし)。 (川端康成ノーベル文学賞受賞祝福〜綺麗な文章だ) 『非国民ほどド演歌好き』と言った奴と似た価値観では? あの頃は、それをフォローする一般の観客はいませんでしたから。 これは宮崎駿さんが、最近本当に自然がなくなった 確かに鶴田浩二は新車ポルシェばかりを乗り継いでいたし 宮崎さんの絵の基本は、東映動画の絵です。 一応「お話の筋」みたいなものはあるのだけど、非合理的な要素がところどころカタマリのように混じっていて、「理屈」で読み解こうとするアタマを混乱させる。 ゲーテが生きた時代は、今よりも自然がたくさんあって、 ここで幼少の頃よりマンガに慣れ親しんだ一人から言わせてもらえると、そもそも「児童マンガ」という分野が成立するのか?ということです。 子どもの本(マンガ・アニメを含みます)には、 軍艦や戦闘機、それと東京の川に、とっても詳しくなりました♪ 宮崎さんの子どもに対する考えが知りたかったからです。 手塚さんはディズニーアニメの動物の動きをめざしていたようです。 ぴあ:宮崎はん、この箇所に何の疑問も抱かなかったんやろか? さて、何でこのスレッドを立てたのか? 第一巻の途中で飽きました。絵に躍動感がないんです。 >手塚さんいについて 『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(1962)の脚本には手塚さんが参加しているんですが(北杜夫とのタッグ!)、なぜか、私はあんまり感心しませんでした。これまでの「こどもむき」路線から、ヘンに大人向けに切り替えていこうという意識が目立ちすぎて、いうなれば「不純」なものを感じた……で、それ以降、私は東映動画の劇場作品を見なくなってしまったんですが、ちょうどその端境期に宮崎さんが東映動画に入社している(1963)。ちなみに、東映動画は、ちょうどその年の暮れくらいから(1963年11月〜)『狼少年ケン』というテレビアニメを制作しているようですが、ウィキで見るかぎり、宮崎さんはこのスタッフにはなっておられないようです。(高畑さんが演出で参加) そこをクリアしたのが『宮崎アニメ』だと思いました。 それに対して手塚ワールドは「実態が曖昧な物が多い」、これもおっしゃるとおりで、かなり重要なポイントですよね。 >あ、それよりも「偏見と差別と暴言を抜いたら只の常識人」ですか、 老害!? ぴあ:笑えるか、このジョーク? そういうことも、興行収入が100億を突破した理由かもしれない。 これ聞いたとき、「あんた、随分偉いんだね」って少し鼻白んだんですよね。「この世が生きるに値するか」なんてのは「伝えていかなければならない」ことではないよね、って。生きるに値する世なのか、そうじゃないのか、っていうのは各人の想いや判断であって、教えてもらうものでも伝えてもらわなければわからないものでもない。なんで、こんな偉そうなこと言うんだろ、って、それまでの宮崎さんの作品を思い返しながらちょっと眉間に皺が寄ってしまいました。 スレ:いつもこんな感じでお仕事を? 【 kotorinさんからの質問♪】 今大人気の『進撃の巨人』の絵なら、さらに無理でしょう。 御当地映画と言う発想、コレも宮崎駿ワールドの人気の秘訣かも ただこの作品は、今までとちがって『大人向け』ということを 哲学や思想を分析して楽しむのもいいと思うで〜♪ 『結局あの、本当に思うけど、趣味持ってる奴は駄目ですね。 だがバブル経済期±10年は、若輩者は泣く泣く横暴な上司に従ったのです。 私の勘違いでしたらお詫びいたします。 漫画化生活30周年記念『ブラックジャック』のプロフィールには ぽあ:『ボクには必要ない! だってお金がない』言うたら笑い取れる♪ たぶん、構想はちゃんとあるんだろうが、それが逼迫した締め切りとか、その時の気分とかでその場その場で自在にメタモルフォーゼし、収拾がつかなくなりそうになったところを「神の手」で強引に決着付けてしまうようなところがある。 児童文学者は、気難しい人が多い。 真似だけでは茶番か素人の宴会芸だ…って一昨日に繋げておこう。, まずは、みなさんにお礼申し上げます。 物や事を比較することなく、ありのまま受け止めて、差別や区別もありません。 人として「無分別」の智に到達することは難しいかも知れませんが、近づくことはできます。 最近、発達障害や障害を持つ方の見方が変わってきました。 少しずつですがそれを個性としてありのままに受け止 … 何かを感じ取ってはいるのでしょうけど… 現場の編集者が書いた『実践的な本』はないと思います。 で、手塚さんはやっぱり「神話的なもの」に対する感受性も強くありましたが、その作品はどちらかというと「物語性」が強いのに対し、宮崎さんの作品はだんだんハッキリと「神話的」な方向に傾いている。 今でも人気の児童文学を原作にした企画の勝利だと思う。 『普遍性』が『物語』を崩壊させる? 三島の文章はエッセイしか読んだ経験はないが しかし、国民的一大イベントになるということが何を意味するのか? ハリウッドから、そういうシーンを撮るよう要望があっても、 『作家のイマジネーションだったものが手管になってしまった』 100年以上前に書かれた「オズの魔法使い」も、フランク・ボームが子供にきかせていた素話を本にしたものです。 『みだりに殺生してはいけない』という言葉は、 昨日、NHKテレビで、やなせたかしさんにかんする番組をやっていたんですが、その中で、やなせさんが語ったという次のような言葉が紹介されておりました。 ぴあ:そう受け取られても仕方ないな。 わざわざありがとうございました! だらだらと長居しました。 今女子大学生の風俗嬢が急増中!もちろんやるべきことは勉強だけど、一人暮らしの場合仕送りやお小遣い、普通のバイトだけでは生活ができないという声も。ファッションや遊びを我慢せず貴重な学生生活を楽しむためにも、大学生だからこそ風俗で働くメリットを詳しくご紹介します! もちろん、たくさんの人に好かれてもいる。 マァあんたのスレッドやから従うわ 人間を閉じ込めて夢遊状態にするシャボン玉が武器でこれを使って人間のやる気をなくさせることが目的。シャボン玉は自身が持っている特殊な針でしか割ることができないが、それを怪物くんに奪われてしまい最後は自らがシャボン玉に閉じ込められてしまった。 子どもマンガ映画の絵を叩き込まれたんでしょうね、若い頃に。 アマゾンで買えますよ♪ 『ナウシカ』や『トトロ』を創った人であるなら、 主旨は雑談です。雑談なので、どこへ向かってもいいですけど、 >結局一番要なトコ手付かずなんだよ?逃げとしか思えないよ! 宮崎ワールドの主人公は少女が多い これは深刻な問題です。 「知」もやはり、いろんなことを「区別」することからはじまりますが、「知」がすなわち「悪」だとする考えは、「知」を「原罪」とする創世記の思想に近いですよね。 IKAさんのお考えは、手塚さんは大人の考えで不条理な内容を避け予定調和な筋で落ち着かせている、その点で真剣勝負してないが、宮崎作品はそうじゃない、という理解でよろしいのでしょうか。 ぼくは40歳を越えてもまだ五里霧中で、 有名人や才能豊かな人で、嫌われ者はたくさんいるが、 いきなり『文学』なのか? 映画サイトなのに! 重いぞ! 『児童マンガ』というジャンルは成立するはずです。 これは、子ども向けの映画を創るときにも言えることです。 だから、とっても知りたい。すごく知りたい! ええと鶴田浩二さん・・・わたくし、「傷だらけの人生」がヒットした数年後に生まれた小娘ですので(若い方々からしたらオバハンですが)、どうぞお手柔らかに・・・ ただ、宮崎さんの言う「謙虚」というのは、「自然に対して謙虚」ということですよね。 宮崎駿さんは、努力型の『秀才』だろうということ。 <リンクURL> 全く、手塚漫画に出会わなかったら今頃私は本といえばビジネス書と、せいぜい司馬遼太郎あたりしか読まないオッサンになってたと思う。 弱いai. まあ、「誹謗・中傷」がちょっとかたちを変えてでてきた……みたいなもんじゃないでしょうか。一種の「やっかみ」なのかな。「光」が大きいと、当然「カゲ」もあるでしょう……と。一種の、自然な「条件反射」といえるかもしれません。 315) 宮崎さんの中には、マンガと児童文学の二つの要素があるようです。 期待しています♪ この『わかりやすさ』が『制約』の中に含まれると思います。 ということである。私もよくわからない。 そしてお返事ありがとうございます。 子ども向け作品を『ジャリモノ』と呼ぶ言い方があったそうです。 ★aakuraraさん、レヴィさんでしたか……なるほど、それで「構造」……よくわかりました。 誤解されるとすれば、その理由はいくつか考えられる。 『 iPadは、自慰行為そのもの』 カーク・ダグラスは同じくウォリスを エレクトロニクス受像機はWOWOW専門 莫迦も休みやっすみ、休み休み 手塚さんの力だから、おそらくは、『ジャングル大帝』も、宮崎さんの『ラピュタ』みたいに多層レイヤーの仕事にすることもできたんでしょう。しかし、現実にできた『ジャングル大帝』はそうなっていません。「ムーンライトストーンの物語」というものが、実はなくて、この神秘の石は、第一層目の波瀾万丈のストーリーに完全に組みこまれてしまっているように、私には感じられました……このマンガを読んだとき、その点がホントに惜しいなあと思ったんですが……やれたのにやらなかったのか、あるいは、レイヤーは絶対に一層にするというのが手塚さんの方針だったのか……そのあたりはわかりませんが、手塚さんの作品は、復層レイヤーにできそうなものが一杯あっても、そこは抑えて、読者にわかりやすい一層の作品とすることにかなり情熱を燃やしているみたいに感じます。アニメ版の『ジャングル大帝』(全部は見ていませんが)なんかだと、それがよりはっきり出ている。 手抜きがバレそうになったらタマには凝れ 自分の方が才能があるとか、 児童文学者 → ジョン・レノン kotorin Grantさん、 しかし、『子ども向けの作品』を創る人は、ぶっ飛んでは困るのだ。 日本では、童話作家が書いたこの手の本はありますが、 ぴあ:所沢近辺ちゃうかぁ… 西武池袋線の隣り… て、電車ちゃうがな! 子供に読んでもらうには、そういう努力は欠かせないと思います。 これは日本人としては、非常に珍しい才能なんですよ。 『風立ちぬ』は、私は未見なのですが、IKAさんがおっしゃるように、ちょっと先の子どもたちにも伝えたいものがある、というのはあるのかもしれません。あるいは、必然的に少し先のことまで見えてしまうというか。だから思わず「フライング」してしまうというか。 『あれっ? ソースを買ったはずなのに!』って、そういう人。 8年前の2,005年、長澤まさみ&新垣結衣が初共演『ドラゴン桜』 >と申しましたが、そういうことは宮崎さんはおっしゃってない、のですよね。 似ていたのか否かは他人様の判定です、冷徹に ゲーテの創作ではなく、特に『子ども向け』でもないらしい。 これは正に宮崎さんそのものじゃないですか。 三流女優・佐久間良子は鶴田のおかげでスター街道を邁進できました。 これは、原作がコミックで児童文学ではない。 有名なニーチェの「神は死んだ」というのは、このことを言ってるんですよね。 誰か、この入り口から入っていただけませんか? ずぶんだって、何書いてっがわかんねえんだど! 「お構いねぐ」。あまロス症候群まっただ中です(笑)。 我が地元である尾張長久手の合戦と混同していました。 レノンさんは、必ずしも聴衆を必要としなかったようです。 『マンガ』『絵本』『文学』は、子ども向けにも大人向けにも創れる。 『似た者同士』という側面もあったのだろう。 >その中に『宮崎駿 暴言集』というのもあって 正直言って、誰も書き込まないと思ってましたから♪ gooランキングという、当てになるかどうか怪しいものがあります。 ぽあ:自慰行為てなぁ… 子どもが聞いたらどないするん? aakuraraさんのおっしゃるように、「ここは「宮崎駿に対する世間のイメージ」をもテーマとして含む」ということもわかるんですが、もしご本人がそういう発言をしていらっしゃらないというケースを考えた場合、これは、ご本人にとってはおおいにメイワクな話で……なんというか、「立場の対等」ということはあると思うんですよね。マーくんさんがこのスレを立てられた動機は、むろん私にはわからないのですが、「宮崎駿」をビッグネームとしてとらえるというところからはじまると、やっぱり「立場の対等」は最初から崩れているという気がする。まあ、ここでの書きこみは登録も非登録も全員匿名ということからすれば、基本的立ち位置はそういうことだから、それはしかたがないというか、そういう前提ではじめなくてはならないということはわかります。しかし、テーマとしては、けっこう普遍的(また普遍!)なんだと私は思うんですよね。とすると、そのテーマが、このさき、2チャンネルみたいなことになっていってはちょっともったいないかな……と。 アニメファンの求めるものではなかったからでしょう。 そもそも、子どもに向かって仕事をする人は、あまり敵を作らない。 『35歳を過ぎて代表作が一本もないのは、才能がないってことですから』 なんとなくね、ホントなんとなくですよ、手塚さんの方は絵が動いてくれてどんどんお話ができていった。一方、宮崎さんの方はイマジネーションはどんどん溢れてくるんだけど、具象化する(絵にする)のにものすごく苦労してる。そんな気がするんです。 多分、引退作品なので劇場で観ておきたいのでしょう。 ぽあ:あんさん、こんなアバウトな入り口でええの? 「おお、おお、それはやりはしないから、その代わりすぐねむると言ってやくそくをおし。あの人が帰って来て、おまえの起きているところを見るといけないからね」 おっかあはわたしにキッスして、かべのほうへわたしの顔を向けた。 わたしはねむろうと思ったけれども、あんまりひ … ブルーザー・ブロディはキラー・コワルスキーのニードロップを 失敗したら見苦しい言い訳はするな。 だから、できるだけわかりやすく雑談したいんです。 私は議論がDNA継承で‘苦手じゃない嫌いなんだ’あしからず 来るものは拒まず、去る者は追わずだ。 暦の上ではディセ〜ンバ〜♪でねぐ、まだオクト〜バ〜だぞ、天野! ぽあ:このオッサンの根幹には、もっと別のものがあるで〜!, > ぽあ:すごいタイトル打ち立てたなぁ… ただ、そういうゴーサインを出すと、 確かに、アニメーター志望者は、 こういう時の発言こそ、気をつけるべきなのだ。たとえジョークでも。 ここで言う「親父」とは、 いつの時代にも存在する人間を無意識に拘束する感性のようなものだ。 青森に生まれ、厳格な警察官の父に育てられた寺山は、常にそれを嫌悪し、 自分を囲い込むものからの「家出」を繰り返した。また彼を読むことで、 同じ東北出身の石川啄木や宮沢賢治に … でも、これからアニメを創る人は大変だ。 と語った人です。根幹ですよ根幹! 難しい言葉です。 また、このスレッドの主旨を理解していただくためにも そういうものの見方で、見る人間っていうのはいますけど、 「天空の城ラピュタ」のパズーもまるでどこぞの未来少年。 こんな風に言ってるけど、児童文学の定義はよくわかりません。児童向けに書かれたもの。書いたものが児童向けに分類されたもの。色々定義は分かれるだろうと思います。「ライネッケ」にしろ「ちいさいおうち」にしろ、私は両作品とも読んだことはありませんが、子供が読んでショック(これは悪い意味だけではなく)を与えることができれば、後々まで印象に残り考える力を呼び起こすことができるのであれば、それも立派な児童文学に類するのではないかとも思います。, 上記の私風の定義に「児童」についての考察がスッポリ抜けてます。すいません。追加します。 ちなみに、近代から現代にかけての時代は、「神」というか「普遍」というものを、「わかりやすく」するための思想が支配的になっている時代だといえます。だから、科学が非常に大きな権威を持つのと同時に、究極の「普遍」と対峙する、究極に「わかりにくい」宗教というものが、信用されなくなっているのですね。 いいですよ、三島由紀夫でも、鳩山由紀夫でも♪ 東映動画みたいに年月をかけて作る絵が動くのはわかるんですが、毎週絵が動く(日本で)というのは信じられない「偉業」……実は、向こうの『ポパイ』とかに比べるとはるかにコマ数が少なくて、しかも同じシーンをくりかえし使っていて、あきらかに質的には劣る。それは初回からわかりましたが……でも、やっぱり向こうのものにない、一種「透明感」みたいなものを強く感じた。これは、以後も、日本のアニメを特色づける大きな要素だったんじゃないかな……と私は思っていますが……手塚さんは、結局マンガ家で、アニメ作家ではなかったと私はやっぱり思うんですが、でも、この「毎週絵が動く」をやっちゃった人としては、日本のアニメ史上における存在意義はやっぱり大きかったと思います。