だから、マンガや絵本というのは、本来子ども向けではなかった。 >35歳について 家に帰って買い物袋を開けると、サラダドレッシングが入っている。 そんな仲間たちが安月給で奴隷のように扱われるのは我慢ならない・・・そうして「歳を取ってからでも代表作を作れる」という希望のある「スタジオジブリ」が創設。 実質「風の谷のナウシカ」まではほぼ無名といってもおかしくない人でした(終盤のルパンシリーズやカリオストロの城も当時はあまり評価されていなかったですし)。 後者は外見と実際に絵心がある及第点, >>くまのマーくんさんへ 『クール便でもやればいい!』と、 ‘「七人の侍」面白い映画だが発想は小学生レベル’ 今では対処法が身についたけど、5〜6年前当時は 実際は昭和3(1,928)年の11月3日(文化の日)生まれで(※) 『宮崎アニメ』が嫌いな人は、この『目線』が不快なのかもしれない。 うなぎいぬさんがそろそろ登板されるころではないか、と思います(と勝手に選手交代)。, ありりん天野、元気か〜♪ 宮崎ワールドの主人公は少女が多い そういう点で、ナウシカの視点は「普遍」なんですね。で、これがこどもにわかるのか……ということですが、まことに残念ながら、自分がおとななので推測することさえできない。これは、おそらく宮崎さん自身も同じだと思います。ただ、こどもたちがおとなになれば、それがどういう意味であったかは、「言葉」や「概念」を介してわかるようになる。いろんな小説、アニメ、マンガを読んだり、さまざまな経験を経てまた『ナウシカ』を見れば、「ああ、そうだったのか……」と思う人はきっと出てくるでしょう。「普遍」の声は、言葉にならない波のように人を包む。人は、毎日いそがしすぎるのでそれに気づくことはないのだけれど、そのメッセージは、生涯のいつか、必ず届く(と期待したい)。『ナウシカ』で吹いていた風は、『風立ちぬ』で吹きはじめた「清算の風」なんだと思います。そういう「今、現実、そして未来」に向けて、「普遍」のまなざしがいつも見ている。宮崎さんの作品にはそれを感じるので、私は、やっぱり優れた「児童文学」だと思います。 アニメーターは100%アニメーション(動画作業)を愉しいと思え! と言う戒めでしょうか? ただいまの掲載件数は タイトル68292件 口コミ 1212538件 劇場 602件, ぽあ:すごいタイトル打ち立てたなぁ… 背景を自由に変えられる機能が追加されるそうですから、 全部アニメーションに吸い取られてしまった人間でないと』 少なくとも、長い時間をかけて子どもに言及した部分はないです。 ぽあ:ここは『子ども電話相談室』ちゃうで! 知らんがな。 まず、宮崎は少年時代かなりの手塚ファンであり、自分で漫画を描くようになってもどうしてもその影響下から抜け出せず、原稿を全部燃やして心機一転、基礎から絵の勉強を始めた,という前提がある。 すいません、非登録時代に訂正させてください。 どちらかというと、懐かしい感じがする絵です。 …というわけで、わかりやすい入り口を一つ作ります♪ 『幼児というのは、お話のホントの部分が、なぜかわかってしまう。』 しかし、実は良くない。こういう状態になると、そのお話は、たぶん自身の内側に閉じていく……で、この状態を破壊して、「物語の魔」を抑制することのできる力が「普遍性」であると、私はそのように思うわけです。……平凡社の『哲学事典』によりますと(えー、辞書の登場です ^_^ ;)、論理的には、「個」、「特殊」、「普遍」の3段階があるそうで、「個」の上位概念が「特殊」であり、「特殊」の上位概念が「普遍」になると。例として、ソクラテス(個)、ギリシア人(特殊)、人類(普遍)というのがあげられていたのですが……この論でいえば、「物語」は「特殊」にあたる。つまり、その「物語」の中だけでは完結しているけれど、さらに上位の「普遍」の段階にまではその力は及ばない。逆に、「普遍」から見れば「物語」は「特殊」であって、「限定されたもの」となります。(ちょっとややこしいですけど) 地面にサーカス用ネットが張ってあったのでガッカリだった’ ポール・マッカートニー → 手塚治虫 → サービス満点♪ 児童文学者は…、どうだろ。字面を追う人の想像力に負うところ大。挿絵はあるものも多いが、物語の大半の光景はやはり読む人の頭のなか。だから語彙力を駆使してありとあらゆる表現を推敲する。苦悶する。読者を獲得するのに時間がかかる。これが宮崎駿さん。「何言ってんの。宮崎さんだってスゴイ絵描いてんじゃん」って言われるかもしれないけど、「ルパン」(←ジブリじゃないけど)も「ナウシカ」も「トトロ」も最初は興行的な成功を収めてはいない。テレビ放映が繰り返されていったことでファンを獲得していってる。 『柳川掘割物語』は『ナウシカ』より3年あとですが、宮崎さんは、『ナウシカ』で端緒をつかんだことを、実際に、現実の世界で確認してみたかったんだと思う。で、これが済んで、次が『トトロ』(1988)ですが、ここではもうすでに「普遍性」による「物語性」の浸食がはじまっています……『トトロ』は、注意して見ると、明らかに二つの物語が融合してできあがっているんですが……開始からトトロに出会い、トトロにもらった種を庭に蒔いたら巨大な森になり、さつきとメイの姉妹はそこで、トトロとふしぎな旅をする……この前半は、「物語」の導入部の見かけを装っているけれど、明らかに一層上の「普遍性」のレベルでの展開が主体になっています。で、朝起きたら小さな芽が出ていた……ここから先は、「物語」そのもののレベルに降りてきて、メイが行方不明になり……という波瀾万丈?のワクワク感の中で観客の心をとらえて、最後に「猫バス」という「最終兵器」まで登場して、童話的な筋道でのお母さんのお見舞いというカタリュシスできちんと締めくくる…… 3回ぐらいに分けて連載するとアクセス増えますよ♪ あのヒットは東映ヤクザ映画末期の1,971年だから また『天人五衰』を読んでから、わかったことがあったらお邪魔させていただきます(けっこう先になるかもしれませんが・・・)。三島さんが『七人の侍』を酷評した根拠とかについても、また話を展開できると面白そうですね。 _なぜスタンドプレーするの!私の訳を通して質問するのが常識よ! まず、マンガ家はこういう言葉は使わない。 ここでは、『暴言には自信あるぞ!』というお二方にご登場いただき、 ただ、『児童マンガ』という名称は、便宜的なものでしょう。 まずは、手塚治虫さんから。では、はりきってど〜ぞ〜! この記載ですが、これ、なにか典拠があるのでしょうか? 三島さんが「特攻隊?の一員」だったということは、私は、はじめてきいたので……私が今まで知ってた彼にかんする情報では、三島さんは、戦前、戦中はむしろひ弱な文学青年で、「徴兵逃れ」みたいなこともあったということなんですが……で、そういう戦争に対する消極的な態度が逆にコンプレックスになって、戦後のああいう経過につながったと……。 いいですよ、三島由紀夫でも、鳩山由紀夫でも♪ ここら辺は、うなぎいぬさんが補足してくれるはず、3日以内に♪ 暴言と言うよりむしろ純情な意見〜当時、青春を奪われた25歳 以前夢寝さんにもお話したことがあるんですが、大昔、少年マガジンで手塚さん特集がありまして。 飲んだのは記述中でしてまだ酔いは廻っていなかったから IKAさん、 『鳥獣戯画』や『北斎漫画』などは有名ですよね。 ずぶん(自分)、この映画大好きなんだぞ、天野! 共通する部分もあると思いますが、まず『別物』と考えるべきです。 それともスペルから察してラテン語ですか? まず、人格者の伝記は面白くなり難い。それに手塚はもともと大阪のええとこのボンボンで、名門校から大阪大学医学部に進み、20歳になるかならずかで漫画家デビューして死ぬまでひたすら漫画とアニメを作り続けた、ただそれだけの人だ。これは絵にならない。戦争体験はあるが水木しげるや野坂昭如のような生と死との瀬戸際に追い込まれたわけではないだろうし、愛人やギャンブルに狂って家庭を破綻させたわけでもない。 実態が曖昧な物が多いから映像化すると幻滅するのかも知れません。 私は宮崎作品が苦手でまだ見たことがないのでこちらでお話する資格はないのですが、IKAさんがバートンの話をされているのを見ておじゃましました。 若い頃‥バブル経済期かな…上司や先輩と実父にも喰らったお説教 ちなみに、『紅の豚』11位 『崖の上のポニョ』14位です。 あーーー、疲れた。 これを身近な例で言うと、 『児童マンガ』という分野は成立すると思います。 スマホなんて意地でも買うもんか!と思っている遅れた人間です♪ いろんなことを勉強しているなぁ〜 と感心はしたが、 宮崎さん的には「未来少年コナン」や参加した「赤毛のアン」は充分すぎるくらいの代表作。 「潮騒」のロケ地=三重県の某旅館で酒癖の悪い三船敏郎に このあたり、いろいろなマンガやアニメの「立ち位置」を調べてみると、面白いことがわかってくるのかもしれません。横軸に「神話」と「物語」の2極をとり、縦軸に「自分からの距離」をとって、いろんなアニメやマンガを配置してみる……大変な作業になりそうですが、うまくいけばイグノーベル賞?……ということで、私は、宮崎作品を、今のこどもたちがどうとらえているのか……これが、なかなか気になるんですよね。自分自身は「今のこども」ではないのでまったくわからないのですが……この問題は、即、「今のこどもたち」が、この現代という時代をどう考えているかにつながると思います。宮崎さんの制作法は、あくまで「今」という時点に立って……ということなので……この問題は、このあとのスレくまさんへのレスでも書こうと思ってるのですが、宮崎さんは、もしかしたら『風立ちぬ』なんか、今よりちょっと先のこどもたちに向けて作ってるのかもしれない……原発が二三個、ポンといって、日本国債が大暴落を果たすごく近い未来のこどもたちへ…… 今、ニフティ山から向かってっから〜!, kotorinさん、こんにちは♪ 手塚作品が未だに愛されているのは、同じ理由からだと思います。 と書いてくると、kotorinさんの書いておられた「手塚さんは大人の考えで不条理な内容を避け予定調和な筋で落ち着かせている、その点で真剣勝負してないが、宮崎作品はそうじゃない」は、たしかにそのとおりかも……と思うようになりました。「予定調和な筋」を「物語性」と読みかえれば、そのとおりになりますね……ようするに、音楽で、ドミソ、ドファラ、シレソ……ときてドミソ、に落ち着くみたいな……「物語の魔」みたいなものが強い力で支配して、「普遍性」を圧倒していく姿なのかな……「普遍性」というものは、一見それとは真逆に見える「逸脱」の中にしか、求められないものなのかもしれません。作家が、自分自身の自由意志を信じて、「物語性」の完璧さの中からあえて逸脱を行う……禅の人は、『仏に会えば仏を殺し』と言いましたが、手塚さんは、それはやっていないみたいに思います。作品としての「完成度」が、やっぱりかなり気になったのか……そういう点では、「偉大な19世紀の作家」だったんじゃないかと。 だもんで、ひどづひどづ 解決していくっぺ〜♪ いや不世出の天才漫画家=手塚治虫先生ですらウォルト・ディズニーを この対談集を読むと、宮崎駿が何を考えているかよくわかります。 【 IKAさんの名言 】 この場合の『こっけいさ』は、子どもとは関係ないです。 マンガや絵本は、これだけの発展はしなかったと思います。 別の意味で、あだまクラクラすっがら♪ 更に最年少の犬塚が映画では常に最年長の設定だったから可笑しい。 子どもマンガ映画の絵を叩き込まれたんでしょうね、若い頃に。 オッサンは、マンガでは手塚治虫に勝てないと知っていた。 今はどうなんだろう? まだ、回復してないんじゃないかな… 宮崎さんは正直な人かもしれない。 『コオロギは生命力が強いので、どこでも鳴いてます』 子ども作品と大人作品の創作法のちがいを熟知することが ただ日本の場合、絵というのは『絵画』で、 あとは、よく知られている雑談 アニメーションなのに『動かすな!』というところに神の技がある。 ディズニーのような潤沢なセル画量と資金。 要は誰もが一度や二度は暴言を吐いている挙げただけ するだけでなく、男性は狩猟、女性は採集 活動という分業スタイルの共同体生活が発 展した。助け合うことが基本となる共同体を 維持する中で、他者の心の状態を読み取る 能力(*心の理論)が備わってきたのだ。そ して、互いの感情を共有し、深い絆や信頼 関係を築くことが可能 … ここから入るのが、『宮崎アニメ』への近道だと思います。 だから、偉そうなことは言わない。言えない。い… 言ってもいいか? まあ、それも仕方ないと思う。 これから其の釈明を〜声帯模写を見出しにした意味の補足 【ぴあさんの暴言】 手塚もドラマは漫画で語りつくしてアニメにはただ1枚の絵が動き出すことの快楽のみを求めたかったのではないか? なぜなら、少子化で子どもの観客が少なくなるから」と。 それは、「過去・現在・未来」のとらえかた、なんですが、ちょっと三島さんの言葉を引用しますと、 嗜好;バート・ランカスター、グレゴリー・ペック、ディーン・マーティン しかも、それに気づく大人はごく少数なんです。 『作家のイマジネーションだったものが手管になってしまった』 どうやら私は、宮崎駿が好きではないらしい(嫌いなんやな?) 『南部ダイバー』でもええど。 ずぶん、聞いてっがら〜♪, IKAさん、こんにちは♪ 『出来ない人』には、宮崎さんの目線は辛いのではないか? 真相はわからないのだが、見舞いに行ったのだろうか? 私が何でこの本を買ったかというと、 そういうことが起りかねない。事実起りました。 長い間絶版でしたが、同じタイトルで朝日文庫から出ています。 『本当はもっとドロドロしたものを描きたい』と言っていました。 _あなたたちが洋画を愉しめるのは私のおかげなのよ! 手塚治虫先生は漫画作家としては不世出の天才 これに対して宮崎さんは、むろん19世紀でもなくモダニズムでさえない。じゃあ、ポストモダニズムかというと、その辺は私には良くわかりませんが、モダニズムの考え方に対して根本的に信頼を置いていない感じがどの作品にも漂っているように思われる。手塚さんは1928年(昭和3年)生まれで1989(昭和元年)に亡くなり、宮崎さんは1941年(昭和16年)生まれで現在70を越えたくらい。お二人は、生まれ年が十数年しかちがわないのに、世界や科学技術に対する考え方では、二人の間にはものすごく深い溝がある。これは、やっぱり驚くべきことのように思います。 全ての人に好かれる作品はなく、宮崎アニメも例外ではない。 ぴあ:ウソっぽいなぁ〜♪ 東芝の生産企画・生産管理業務とは、東芝のモノづくりにおける生産活動を企画・管理する仕事です。経営戦略、事業戦略を達成するために、生産戦略を立案し、実行してます。 知的財産部門. 言葉というのは、直観的なものほどわかりにくい。 さて、『制約』という言葉ですが、 これから銭湯を利用する客は服を着たまま浴槽にはいるんですよ。 「この世が生きるに値する」という発言に関しては、それを決めるのは個々人の想いや判断だというふうに言えるのは、豊かで平和な文明国だけが持つ「余裕」のおかげだと思います。 「ちいさいケーブルカーのメーベル」では、早くて経済的なバスの登場で廃止案の出たサンフランシスコのケーブルカーが、市民投票により生き残るまでを描いています。 開拓時代の馬から汽車、自動車へと時代の流れを彼女は興味を持って見つめている。 Yahoo!ブログは、使いやすいので続けてください。 気になった点を二つ、おしゃべりします。 三重県の伊勢志摩ではかなり有名な話ですよ。 こども向けの本の『制約』ということからすると、この本は、みごとに「反児童文学」でした。まあ、ゲーテ自身は「児童文学」として書いたわけじゃないみたいですが……日本の出版社が、なぜか、この本を「児童文学」としてリライトした。しかも、「悪が勝つ」という基本部分はそのまま残して……今だったら、たぶんやらないかもしれません。なにせ、昔は、「偉人伝シリーズ」にヒトラーの伝記があったくらいですから(たしかにどっかで見た記憶があります)……考えてみると、「シバリ」は今よりはるかに自由だったのかも。というか、「児童文学」というものに対する考え方が、今のように「表面的なシバリ」ではない部分で、ちゃんと考えていたのかもしれません。 ここで「悪」と言ってるのは、腐海や虫たちの働きのことです。ナウシカの生きる世界では、腐海や虫たちは、人間の生存を脅かすだけの「純粋悪」と受け取られていて、誰にとっても、その存在を純粋に否定してよいもの……要するに、理屈なく退治していいもの……しかし、実にナウシカだけが違う。師匠のユパさまも近い線まで行くけれど、ナウシカみたいに透徹して「知る」ことがない。腐海の生まれたわけと役割。それは、人間の作りだしてしまった「毒」の浄化……ここで、「悪」の意味が完全にひっくりかえります。それは、相対的な「悪」ではなく、「悪」をもっと、さらにその根底まで見透すことによって、人において「絶対悪」であったものが、その「悪」の意味を失う……それは、転回してブーメランのように「人」自身に還ってくる……たとえば、ドストエフスキーの作品みたいに、「悪」の意味を深く問おうとしたものはありました。しかし『ナウシカ』がある意味、それを越えたということは、やはり「19世紀」を越えたということではないか…… なぜならアニメーターたちの報酬を格安にし社会的地位を著しく低くしたから 認められるまで、20年近い下積みを経験した苦労人でもある。 「コンピューター対人間」的な議論は最近また盛り上がりを見せていて、「多くの人間の仕事が機械にとって変わられる」ということに異論を唱える人はもう少ないのではないかと思います。ただ、どの程度?というのは議論が分かれるところですよね。 人工知能を研究する学者さんなど … ビンボー暇なしなもんで♪(ペコリ), おんどりゃーさん、こちらこそ失礼しました……他意はなかったんですが、あとで読み返してみると、自分でもけっこうキツい表現のツッコミになっちゃってたかな……と思いまして……というようにKY−IKAですが、今後ともよろしくお願いします。夢寝さん、ガイド3Qです。……ということで、本筋のお話ですが、テレビで『鉄腕アトム』が始まったとき(昭和38年・1963年)は、もうワクワクドキドキでした。「毎週絵が動く!」当時は信じられない「奇跡」のようなできごとで、もう始まる30分くらい前からテレビの前を離れられませんでした……で、始まると、ホントにアトムが動いている!スゴイ!……ただ、これだけでした。 宮崎さんは、けっこう複雑な人だと思う。わかりづらい。 ぽあ:このスレッドに、読者なんておりますの? こういう時の発言こそ、気をつけるべきなのだ。たとえジョークでも。 正確には、『作画監督の絵』なのかもしれないけど、 ぴあ:便利なツールやけど、わては興味ないと言わんかい! さて、返信方法ですが… kotorin Grantさん、 さて、著者のエレンさんによると… わかりやすく、言葉で語る以上の情報を持っています。 と申しましたが、そういうことは宮崎さんはおっしゃってない、のですよね。 この構図を当てはめると 書き込んで下さった順に返信するのが礼儀かと思いますが、 時代の変化を進化につなげてきた会社なんですね。 冨田 この本は、 私なりの経験上解釈を勝手にします。 昔から『児童文学』とはなんぞや? という議論があります。 IKA さん、こんにちは。ご無沙汰マーくんです♪ なるべく動かすな、止まっている絵を動いているように見せろ。 さらに、それまでアニメに興味のなかった人たちまで、 宮崎さんの場合は、ある時期までは「風景」と「線路」のバランスに気を配っていたけど、いつしか「風景」の存在感がより強い作品づくりになっていった。 ただ、成長してから見直して、「なあんだ、ずいぶんつまらないものだったなあ」とガッカリすることは、宮崎アニメにはほとんどないのではないかと思われます。私の若い友人たち(10代から20代)も、いまでも面白いと言ってますし、それくらい、やっぱり作品そのものがしっかりつくってあります。 第一巻の途中で飽きました。絵に躍動感がないんです。 ランカスターは天才プロデューサ=ハル・B・ウォリスを この『わかりやすさ』が『制約』の中に含まれると思います。 子供の本だから、勧善懲悪で予定調和じゃなきゃいけないとは思いません。ライネケだけじゃなく、伝承されてきた昔話やグリム童話等にも不条理で残酷な話はいろいろあります。口伝えにより残酷さが薄まるという面もあるでしょうから、本にするにあたり、多少の加減は必要かもしれませんが、子どもたちはショックも受けずに受け入れてきています。 難解ではないが、子どもには取っ付きにくいと思います。 これはイラストごっこ(似顔絵)も一緒…友に送別会で色紙を贈った マァあんたのスレッドやから従うわ こういう意味不明が楽しいんだぞ、ありりん天野! 地上波は興味を持った連ドラオンリーの夢寝です。 ところが人間の中でも、とりわけ子どもは『絵』が大好き! ところでこの映画生活のサイト、昨日ちょっと出先で携帯で見ようとしたら、このフリートークへのリンクが表示されなくて・・・ガラケーだから?? 子供に読んでもらうには、そういう努力は欠かせないと思います。 さらに、若い編集者が育たないという深刻な問題も起りました。 と語った人です。根幹ですよ根幹! 難しい言葉です。 今大人気の『進撃の巨人』の絵なら、さらに無理でしょう。 (十分長くなってるで!) もし本当ならカッコイイなぁー(本当であって欲しい) この『秀才の目線』を感じる。 うなぎいぬさんがフェードインするってか? まさか、仕事をサボって遊びに行ったわけではないだろう。 お気遣いどうも♪ ベルクソンの「純粋持続」に近いのかもしれませんが、そこで、人の意識は、自由自在にいろんなものにつながることができるのかもしれません。ふるえる弦のスターゲイトを通じて……「時間の最小単位」は、区分していけば無限に細かくなるんですが、私は、この「3分」というのがあやしいと思うんですよね……, 夢寝さんは優しいですね・・・ いつまでもアレに逆らってやろうと思っていますから このあたりは、このスレのテーマとはだいぶズレてきますので、あんまり深入りはできませんが、私は、三島さんの「日本」のとらえ方はコワいけど、宮崎さんのとらえ方は納得できるような気がします。まあ、それはともあれ、お二人に共通だったのは、指摘しておられるように、「現状に対する鋭い危機意識」ですよね。で、この「危機意識」は今のところ、あんまり多くの人に共有されたものではないように見えます。阿倍野実楠で日本が元気になる……なんて幻想を信じてあんだけの人が(といっても1/4ですが)票を入れる現状……ホントに「始まる」まで、みんな気がつかないのか(いや、実はもう始まってるんですが)、あるいは、気づいていても自分をごまかしているだけなのか……「「未来」に残せるような価値というのは、逆説的ですが「過去」にしか見出せない」というのはそのとおりかもしれません。 その部分は、私はちょっと疑問なんです。 昔の人は、マンガに限らず、そういうことが出来たんです。 さて、ありりん天野さんのご意見を参考に、 グッ! わ… わからん! 引退記者会見で、 アニメラマと呼ばれた『千夜一夜物語』や『クレオパトラ』は、 アニメファンという限定された観客に受け入れられただけでした。 『人も含め、全ての生き物が皆等しく生きる価値を持っている』 『物語性』を『娯楽性』と置き換えれば、そうなるんですけど… 映画のような躍動感のある動きを得意とした。 で、宮崎さんはこの絵しか描けない(推測で言うなよ!) 成功したプレゼン話術は何度も使え! もっと難関な資格試験や或いは大学入試高校入試 All rights reserved. そういうことがわかっている人は、簡単に『皆等しく』とは言わない。 くまのマーくんさん、そう思いましたか。私も実はそう思いました(笑)で、こうも思いました。わざわざ賞獲れるか獲れないかという場で公式発表するなんてあざといな、と。で、また思いました。手塚さんも宮崎さんも本質は目立ちたがり屋だよね、と。あ、ディズニーも、だよね♪, マーくんさん、みなさん、こんばんは。実は、少し上のマーくんさんの書きこみの前に、このスレに投稿しようと思って書いていた文章がありまして(このスレをずっと読んできて、感じたことです)……けっこうしちめんどうくさい?テーマなんですが、ゆくゆく、児童文学のお話にもつながっていくと思うので(勝手に思っているだけなんですが)よろしければおつきあいいただければと…… ぽあ:校正刷りの確認を行う責任が著者にはあるで。 答えは出なくてもいいです。何しろ雑談だから。 『ナウシカ』の原作マンガを読みましたが、 ぽあ:やっぱ、あんさんのノリツッコミは、キレがあるな♪ 何かを感じ取ってはいるのでしょうけど… 昔のジブリは良かった♪という声をよく聞きますが、 『タマには凝れ!』と言うところに、神の良心を感じる。 と言えるかも。 『児童マンガ』というジャンルは成立するはずです。 『3日以内』って、プレッシャーかけたがら、 しかし、この言い方の裏には、手塚治虫に対する激しい嫉妬がある。 目の前に『超能力者』さあっがら観る。 『ワクワクするお話』の方に重点が置かれた一層の物語で、 でも、誠実な作家であれば、その作品と作者の人格は「一体」のものですから、ふたつを分けるということは、結局できないと思います。 その下地を作ったのが手塚治虫だと、オッサンは責めるが、 マンガ家で『絵本好き』な人はけっこういますけど、 エレクトロニクス受像機はWOWOW専門 手塚先生は、そこをすごく心配していた。 宮崎さんの作品は、「子どものわかりかた」にすんなり入っていくものなんじゃないかと思うのです。 マンガ版を再読したら、やってみたいなあと思っていますが、いつのことになりますやら…… 余談;桜井センリ 『宮崎駿 名言』もあるが、『暴言』と紙一重である♪ 『みだりに殺生してはいけない』という言葉は、 話を手塚治虫vs.宮崎駿に戻しますと 大人の言葉で話しても伝わらない場合がありますから。 そこに気づいていないのが可笑しい♪ 3)その後が知りたいジブリ作品 → トトロ 宮崎さんはアニメ(ストーリー)で頑張ろうとしてたけどすっごく苦しくなった。で、アニメ作りたいんならマンガ描いてみな、っ描き始めたのが「ナウシカ」。 ちょっと話がずれてきたが…今日夜「神様のベレー帽 手塚治虫のブラックジャック誕生秘話」が放送される。手塚を演じるのは草なぎ剛。 これは正に宮崎さんそのものじゃないですか。 ありりんさん、ありがとう♪ スレ:いつもこんな感じでお仕事を? 絵本は、文字が読めない人たちのために『発明された』 だからなんだ、と言われると答えに詰まるのですが、宮崎さんが児童文学の人と言われるのはこんなところにあるのかな、と。 だから、自作につけられた作者あとがきを読むと、こうするつもりだったけど人気がなかったから、時間がなかったからあんな風になっちゃったという言い分けがやたらと多いし、時間がないのに単行本化のたびに作品をいじくりまわしてる。 ぴあ:一寸の虫にも五分の魂 言うやんか。 「現実」って、社会でも自然でも、ホントにわかりにくいものです。因果応報・勧善懲悪なんてことにはならないし、目を覆うような闘争や理不尽きわまりない犠牲もあれば、美しいつながりがあったりもして・・・そういうものを全部子どもに見せておく、というのは決して「やさしい」ことではないかもしれませんが、でも私などは、子どもたちに「わかりやすい」ものだけを与えるという教育のほうが、よほど残酷だと思えます。 ニック・ボックウィンクルは鉄人ルー・テーズのテクニックを >宮崎さんは(中略)本質的には児童文学の人だと私は思います が宮崎駿から大きくハズレました。, 熊のまーくんさん 手塚さんが人間礼讃で、宮崎さんは文明批判、というのはまったくもっておっしゃるとおりと思います。 2021年1月04日 23:08:26: vth59ay6xq: wwk1vda0bxvwvgm=[977 手抜きがバレそうになったらタマには凝れ なんとかこの『微妙な部分』をスッキリさせて、 昔のプロフィールは、ハナ肇と同い年1,930年3月生まれですが あっ! 投稿しようと思ったら、 誤解されるとすれば、その理由はいくつか考えられる。 子どもたちも、ほとんど意識はしていないと思います。 老害!? と言うより、作れないのだ。 【宮崎駿の暴言】 そういう意味からすると、三島さんは、「日本的なもの」からは、実はかなり遠い作家だったんじゃないかと思います。言い方がヘンですが、なんか外国人が「日本」にあこがれて、「日本はよろしおまっせ」といろんな人に言ってるような雰囲気を、私は感じてしまうのですが……『美しい星』については、以前にお話させていただいたことがあったようにも思いますが……かなり内容を忘れてしまっているので、再読してみようと思います。宮崎さんと三島さんの「日本的なもの」へのアプローチは、私はかなり違うように思うんですが……どうでしょうか。これは、やはり手塚さんの場合と同様、お二人の年齢差も大きいが(三島さんが今生きておられたら90近い。手塚さんより3才上だけどほぼ同年代)、また、もって生まれた資質の差にもよるのでしょう。「日本」を意識的にとらえるか、「無意識的にとらえるか」…… 児童文学者→大人になってからでも分かればよいというスタンスを持つことを許される人 そうそう、60歳過ぎてからのバート・ランカスターも 彼女は自然を愛でて田舎に住んでいましたし、「ちいさいおうち」では環境破壊に警鐘を鳴らしていますが、彼女が近代化すべてを否定しているわけではないと思うのです。 『紅の豚』から『もののけ姫』の間にも、 実践的に書いた非常に興味深い本なんです。 ジブリのイメージ作りに大きく貢献しています。 「第一部 悪ガキたちの昭和史」 それが努力によって開花した。そういう感じがする。 とはいえ、受けると嬉しいのは確か。 著名人なら大物なら必ず嫉妬を覚えるライバルか先輩がいる。 しかし、『バカだからどこでも鳴いてます』と冗談で言えるのは、 でも、円谷さんは、血を出すことに反対だった。 『宮崎アニメ』が子どもに支持される理由はそこにあると。 子どもの本と言えば、イギリスが本場と言われますが、 『くまのプーさん』『ピーターラビット』『宝島』などの有名な作品は、 8年前の2,005年、長澤まさみ&新垣結衣が初共演『ドラゴン桜』 時々、顔見せろや〜♪ まず、ありりんさん、ごぶさたマーくんです♪ つまり、『わかりやすさ』が徐々に薄れて行くんですね。 やっぱり「魔女の宅急便」宣伝でしょうね。 宮崎ファン(ジブリファン)は、この感動をもう一度味わいたくて、 TVガイドの写真を見て吃驚! まるで手塚先生が剛に乗移った… その創作法は、あくまで『子どもにわかるように』ということです。 44歳のときに『ゲーテ版』を書き上げたそうです。 児童文学者 → 大人になってからでも分かればよいというスタンスを 台詞掛け合いを聴かず、太陽光線による色調変化に感動した 去年他界した際は。1,926年生まれが戸籍上の届けと判明 ここで幼少の頃よりマンガに慣れ親しんだ一人から言わせてもらえると、そもそも「児童マンガ」という分野が成立するのか?ということです。 この入り口がいいかな〜 と♪ 「海のトリトン」「勇者ライディーン」「ガンダム」を監督した富野喜幸(由悠季)さん辺りが代表でしょうか。 ということで、各自が自分の「ルール」で、ということで話を続けていっても、けっこう大丈夫なんじゃないかな?と私などは思うのですが・・・それに、「共通のルールなし」という条件から生まれる面白さ、というのもありますし、このサイトでは、それが2ちゃんねる的な無法状態になっていくことはなさそうな(大事なところではちゃんと修正が入るような)気がしますし・・・